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    ワールドメイトはもちろん、宗教全般に、洗脳/マインド・コントロールは存在しない

    日本でマインド・コントロールが知られた経緯

    統一教会などの報道を通じ、カルト宗教の対策に取り組む弁護士らにより語られるようになった[11]1992年の統一教会の合同結婚式に参加した山崎浩子が、翌1993年に婚約の解消と統一教会から脱会を表明した記者会見で、「マインドコントロールされていました」と発言したことによりこの語が広く認知されるようになった[12][13][7]。山崎浩子がこの言葉を知ったのは、統一教会脱会信者の支援を続けている弁護士・牧師グループを通じてであり、彼らはスティーブン・ハッサン著『マインド・コントロールの恐怖』に依拠していた[7]。日本にカルト、マインドコントロール論を紹介し、メディアに広め用語として定着させたのは、統一教会信者の奪回・脱会を目的とする反カルトの立場に立つ人々だった[11]。社会心理学者の西田公昭は、この記者会見の報道の際に、マインドコントロールの定義をきちんと説明する人がなく、「心の操作」「精神の操作」「自分自身の心の調整」など、様々な意味に使われるようになってしまったと述べている[8]

    日本では、統一教会脱会支援者である弁護士や教会の牧師等が、統一教会信者を脱会させる目的で、「マインド・コントロール論」を利用し、統一教会教会脱会者と支援者らがマスコミで訴えたことがきっかけで、世間に知られるようになりました。マインド・コントロール論の論拠とされるのは、スティーヴン・ハッサンという統一教会脱会者が執筆した『マインド・コントロールの恐怖』という書籍です。これは、学問的研究ではなく、スティーヴン・ハッサン氏の体験談といったほうがわかりやすいです。現在、マインド・コントロールを研究している学者も、反カルト論者を中心として存在しますが、多くの宗教学者は、マインド・コントロールに懐疑的な立場をとっています。

    欧米では、マインド・コントロール論は学術的に否定されている

    一方、欧米では、マインド・コントロールは、ほとんど、研究対象にはなっていません。アメリカの統一教会をめぐる裁判では、マインド・コントロールないしは洗脳は、学会から学術的根拠はないと否定され、裁判では採用されなかったといいます。
    洗脳の問題と統一教会についての最も徹底的な調査は、1970年代後半に、E・バーカーによって実施されており、その調査(1984年)は、統一教会に関して最も信頼できる研究結果になっている。アンケートや一連の面談、そして6年にわたる関係者の観察により、バーカーは、入門者が会員として残る割合はきわめて低いと結論づけている。79年に行われた統一教会の入門ワークショップに参加した人々のうち30パーセントだけが、次の7日間集中プログラムに参加することを選んでおり、実際に統一教会に入信して1週間続いたのは10パーセントにすぎなかったのである。さらに、どのようなかたちであるにせよ、2年後も会員であり続けているのは、ほんの5パーセントだけだった(バーカー、1984年、121-48年)
    『カルトと新宗教』(D・E・コーワン、D・G・ブロムリー、p123-124)

    コーワン氏とブロムリー氏には、E・バーカー氏による調査を、最も信頼できる研究結果と評価しています。アメリカの統一教会の裁判では、バーカー氏の調査が重んじられ、マインド・コントロール論が学会から否定され、詐欺的勧誘等が違法行為とされました。それ以降、反カルトのメンバーらが、様々な洗脳・マインド・コントロール仮説を提唱し、バーカー氏の研究にも賛否両論はあれども、信者として残る割合が低いという結論は、マインド・コントロール仮説を覆す説得力をもっているといえます。

    たとえば、現代日本では、生涯の幸せを誓った夫婦でさえ、4組のうち1組が離婚します。マインド・コントロールされて結婚したわけでも、政略結婚というわけでもない、恋愛結婚の夫婦でさえ離婚します。それは、結婚のときには結婚する理由があり、離婚のときには離婚の理由があっただけです。たいていは、円満離婚とはいかない場合のほうが多いでしょう。宗教についても、似たようなことがいえます。良いなと思って入会しても、入会後に自分にあわないと気がつくこともあるでしょう。人間のやることですから、完璧とはいきません。そして、続々と退会者が出る宗教もあります。退会者がいるということは、マインド・コントロールなど存在せず、自由意志に従って行動していることを表します。マインド・コントロールされていれば、意志が操られているわけですから、退会者が続出するわけがありません。つまり、宗教の信仰はマインド・コントロールではなく、自分の自由意志によるものであるという証拠ともいえます。個人個人に、その場その場の理由がそれなりに存在し、後から、考えが変わったり、気が変わったりして、昔は好きだったが今は好きではないというように、昔抱いた感情を今は感じていない、というだけのことなのです。人の心、気持ちなど、元来、コロコロ変わるものです。

    オウム真理教の裁判で、マインド・コントロール論が否定

    オウム真理教では、教団が信者をマインド・コントロールをしていた、とマスコミが盛んに報道していました。そして、信者の裁判では、被告の弁護人が、マインド・コントロールされていたから、自分の意志で行ったのではない、という主張を繰り返したのです。これは、ただの、責任逃れにすぎません。当然、裁判の判決においては、マインド・コントロール論は採用されませんでした。
    これと同様に、まるで、安倍首相銃殺の山上容疑者を擁護するかのような、旧統一教会にも責任があるかのような論調については、行き過ぎています。
    マインド・コントロールのせいにして、個人の責任ではなく団体に責任をなすりつけるかのような論調は、主に、反カルトを標榜している側に見られます。マインド・コントロールの手法を最も研究し、実践しているのが、反カルト側だからです。旧統一教会においては、脱会者支援の教会の牧師や弁護士が、軟禁状態においているなどの違法行為も、一部のジャーナリストから、指摘されています。

    ワールドメイトの見解


    雑誌『FLASH』の旧統一教会に関する取材への、ワールドメイトの回答においても、マインド・コントロール論を用いることの危うさが指摘されています。雑誌に掲載されたのは一部であり、本来は、もっと長い回答であったようです。
    ・質問1
    「旧統一教会は、霊感商法などが社会問題になっている団体です。こうした旧統一教会について貴団体はどのような見解を持っていらっしゃるでしょうか」について
    ・回答1
     当法人は、旧統一教会と全く交流がなく、一般論で申し訳ありませんが、以下の事が言えると思います。 
     まず、「宗教」と言っても、色々な種類があります。旧統一教会は、「キリスト教系」の宗教法人です。
     キリスト教は、基本的に現実の幸せより、死後の幸せを大事にする教えです。換言すれば、「現実に価値を置かず、罪を許されてあの世で天国に行くことを大事にする宗教」です。だから、旧統一教会の信者らは、進んで神に金銭を捧げようとします。そうある事が尊ばれる宗旨なのです。これは旧統一教会に限らず、キリスト教、とりわけファンダメンタリズム(原理主義)に、現れがちな傾向と言えます。
     ちなみに、仏教も、似たような価値観を持っています。
     仏教には、「三法印」という3つの要諦があります。「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」の3つです。
     「諸行無常」とは、世の中は常に移り変わるということ。「諸法無我」とは、全てのものには実体がないということ。つまり、家も社会も国も、形ある物は必ず崩れていくということです。だから、この世のものに執着せず、永遠に変わらないニルヴァーナ(涅槃)を目指す、という教えが基本です。
     仏教を背景とするオウム真理教が、破壊的行動を起こしたのも、あの世の涅槃を最上とし、現実界に価値を置かない思想に基づくのでしょう。こうした、「この世に価値を置かず、あの世で幸せになる」という考え方の宗教は、時として、非常に反社会的で、過激な行動を起こす事があります。しかし、それも憲法で保障された、信教の自由があるので、メディアが宗教性そのものは批判できません。消費者問題や、法律の違法性としては、批判できます
     これらに対して、ワールドメイトの基本は神道です。神道の教えは、
    「神の恵みや祝福は、生業が栄え、家が栄え、コミュニティが栄えることに現れる」
    というものです。つまり、現実の仕事や家庭や社会が、幸せで繁栄するところに、神の恵みが現れるというのが、神道の考え方です。だから、神道とは基本的に、反社会的になりようがない宗教なのです。だからこそ、ワールドメイトは社会性を大切にします。社会性とは、仕事と家庭と社会の幸せと繁栄であり、遵法の精神です。
     そして、社会性を考えるからこそ、ワールドメイトでは、旧統一教会のように、遺産相続や保険で入ったお金を、全て寄付させるような事はしません。ワールドメイトは、自由と自主性を重んじますが、「自分のお金だから、寄付しようとどうしようと勝手じゃないか」と思うでしょうが、それは浅慮といえます。例えば、遺産相続で言えば、家族や親戚、兄弟や子供がおり、遺産の使い道を常に注目してるはずです。そのお金を、自分達で使いたい人もいるでしょう。それを教団に寄付すれば、家庭不和や、兄弟親戚とのトラブルを起こす元になります。だから、家庭や親戚の幸せや社会性を考えれば、こうした遺産相続や保険金のお金は、「ご家族に遺すか、どうしても寄付したいなら、宗教ではなく、ユネスコや赤十字にされてはどうですか」と、いつも勧めています。それで、いまだかつて、そういう寄付を受け取った事はありません。また同じく、旧統一教会のように、無制限に高額な献金を受け付けることも、社会性を損うので致しません。原則として5万円までとか、10万円まで等、寄付の上限の基準を定め、無理して家庭にひずみが来ないよう、社会性を大事にしてるのです。新しい拠点を作るときは、寄付も受け付けますが、その時も上限を決め、沢山もらい過ぎないようにしています。
     話は横道に逸れましたが、このように、旧統一教会は「あの世の幸せに価値を置く」という、キリスト教系(しかも原理主義)の価値観を継承しています。「ものみの塔」や「モルモン教」も同じです。だから、そのこと自体は、キリスト教系としてはそれほど特異ではありません。宗教法人として認証されたということは、それなりの宗教性があるのだろうと、まずは一般論としてそう考える次第です。
     また、統一教会の信者らの信仰や献金について、ひとくくりに「洗脳」「マインドコントロール」といった、レッテルを貼ることには異論があります。「洗脳」や「マインドコントロール」の定義を見れば、10億人のキリスト教信者、8億人のイスラム教徒、また世界中の仏教徒は、全て洗脳によって入信し、洗脳によって信仰を続け、マインドコントロールで、献金や活動をしてる事になります。共産党のオルグや洗脳と同じように、宗教に洗脳やマインドコントロールの概念を持ち込む事は、そもそも根本的に問題があるのです。
     これらの言葉を使うジャーナリストや、論者の結論は、「そもそも荒唐無稽な宗教というものを信ずる者は変な人だ。無神論が正しく、リベラルが本当で、世界中が共産党になるのが正しい。マルクスが入ったように、『宗教はアヘン』なのだ」という結論になります。ところが、新しい学問である「宗教学」では違います。日本の宗教学の泰斗だった東大の岸本英夫博士は、「宗教や信仰の神秘な部分は、人々の神秘な部分で受け取り、理解するしかない。それを科学的な視点や、社会的な視点で批判するべきではない」と結論付けています。そこの部分は、そっとしておけという事です。こういう、宗教学の立場や、理解や知識のない、ジャーナリスト、学者、タレントがテレビで堂々と宗教を論じ、批判してる姿に、憤りを禁じ得ません。日本国民は、ますます宗教に偏見をもち、信仰を持つ人々の肩身を狭くします。まさに、これが「信教の自由」を迫害してる事になります。
     英国のある女性の宗教学者が、統一教会における洗脳の実態を、詳しく調べた事があります。その結論は、洗脳やマインドコントロールは、実際には実在しない事でした。信者は、全て自分の意思で入信し、自分の意思で辞めているからです。実際に、日本に最大56万人いた信者は、50万人がやめて今は6万人ぐらいだそうです。彼女は、その後「統一教会」との癒着で批判され、その説は評価されていません。しかし、そもそも宗教に洗脳とか、マインドコントロールという言葉や、概念を持ち込むことに問題があるのです。ネットで検索すれば、学者によって、肯定論や懐疑論が入り混じる事が分かります。従って、これらを「教団による洗脳の結果」と位置づけるのは、宗教学的にも、社会学的にも、世界中の宗教リーダーの目から見ても、問題があるのです。

     いずれにせよ、「行きすぎた献金」が、社会生活を破壊したり、家庭を破壊したりすることは、あってはならない事だと考えます。前述の通り、「社会生活や家庭や生業が栄えることを、神道の神は望まれる」と考える、神道系のワールドメイトだからこそ、一層そう思えるのです。しかし、社会や仕事や家庭に価値を置かない、キリスト教や仏教系の宗教団体なら、「行きすぎた献金」や、「社会生活の破壊」、「家庭の破壊」は、神道系の宗教団体ほど、問題にはしないはずです。何に価値を置く宗教なのかは、全くの信教の自由だからです。そこを踏み込んで、メディアの価値観で批判するのは、著しく教団や信者の信教の自由を侵害してると言えます。メディアが批判できるのは、法治国家なので、違法性だけだと言えましょう。
     こうした宗教ごとの理念の「違い」や、憲法で保証された信教の自由、表現・結社の自由について、きちんと分かっている方は少数です。多くの人にとって、宗教は一括りに見られがちです。それは、「偏見は無知より生ず」(Prejudice is the child of ignorance.)の諺(ことわざ)通り、宗教に関して、人々もメディアも、あまりにも無知なるが故に生まれる、偏見だと言えます。我々は、常にメディアに真正面から向かい、様々な問いに答え、こうした誤解を受けないよう、努力する次第です。
     もう1つ言える事があります。
     安倍元首相が凶弾に倒れたことは、本当に衝撃であり、胸が痛む悲劇でした。ただ、その原因を、旧統一教会への恨みとか、狙撃犯の母親が異常に信仰熱心だった等に求め、あたかも「安倍元首相が殺されたのは、旧統一教会との関係や、旧統一教会に問題があった」とする論調が、昨今行き過ぎてるのではないか、と考えます。
     なぜなら、誰がどう考えても、安倍元首相を殺した犯人が、100%悪いに決まってます。旧統一教会や、オウム真理教、また創価学会に深い恨みを持つ人は沢山いるでしょう。しかし、山上容疑者のように、教団と関係ない政治家を、暗殺した者は1人もいません。この事件は、突出して山上容疑者に問題があることは、自明の理です。
     すなわち本件について言えば、罪を償うべきは、当然に山上容疑者であり、そこに異論の余地はありません。にも関わらず、あたかも、安倍元首相を殺した容疑者を擁護するかのように、(それが例え、かねて評判の悪かった旧統一教会だとは言え、)宗教叩きや、それにつながりのある政治家叩きに血道を上げる報道は、問題のすり替えに繋がりかねないと危惧します。すなわち、これなら、殺人犯の山上容疑者の思惑通りに、メディアが踊らされてる事になるからです。
     断っておきますが、旧統一教会に問題が無いと言うつもりは、毛頭ありません。しかし、それらは、30年前にさんざん議論され、批判された事です。それから、旧統一教会なりに改善し、努力してる事です。我々から見れば全く足りませんが、教理の原則から言えば、その改善にも限度はあるでしょう。それでも、それが良いと信じ、幸せに生きてる信者も多いのです。それが嫌だ、だめだと思う信者は、とっくに全員やめています。実際、前述の如く、56万人いたと言われる信者は、今は6万人しかいないのです。やはり、淘汰されてるのです。だから、信教の自由があるので、あくまで法に基づき、是は是、非は非として正されるべきです。宗教性にまで立ち入る批判は、信教の自由の侵害になるからです。そこから、宗教全般が問題視されたり、関係のない宗教まで、一括りに白い目で見られる事は、あってはならない事です。まともに、普通に、それぞれの信仰を大切にして生きてる、多くの信仰者の「信教の自由」が侵害され、汚され、蔑(さげす)まれる事になりかねないです。
     そのことが、一番の問題だと考えます

    ワールドメイトにも洗脳やマインド・コントロールは存在しない

    ワールドメイトは、入退会自由であり、個人の自由意志を尊重しています。まれに、洗脳されてるから宗教を信じるんだ、などという人がいますが、まったくのデタラメです。ただ、価値観が異なるだけなのに、相手の価値観を尊重せず、洗脳されてるなどと中傷するのは、人間的理解の許容範囲が狭いだけのことなのです。
    ワールドメイトは、神道をベースとしており、多神道でもあるので、ユダヤ教や仏教、キリスト教、イスラム教、儒教、道教などの教えと対立しません。それぞれの宗教には違いがありますが、それは成立した時代背景や文化等が異なるためであり、それを理解すれば、特色を理解です。
    宗教とは、それぞれの体験や文化、生活やアイデンティティと密接に結びついており、他宗教を理解することが、国民性や異文化の理解とも重なります。

    日本の宗教教育が廃れてしまった現代

    日本の天皇は、自ら田植えをし、秋に稲を収穫して、11月23日の新嘗祭で稲をその年の収穫を祝い、神に感謝するというのが、伝統的な儀礼として伝わっています。11月23日は、本来は新嘗祭の日ですが、GHQに「勤労感謝の日」に変えられてしまったため、新嘗祭のことさえ知らない日本人もいるのではないでしょうか? 田舎の実家には、大きな仏壇や神前があり、仏壇には先祖の写真や位牌が飾られ、その日の食事をまず先祖に備えて、手を合わせてから、「いただきます」と感謝して食事をする、というのが、日本の食文化に根付いています。キリスト教でも、食事の前に、家族でイエスに祈りを捧げたりもします。神仏や先祖を身近に感じ、その日その日を感謝して生活していく、という生き方が、昔ながらの生き方でした。
    神仏を身近に感じなくなった現代人は、今、都会の孤独に陥り、なんと、日本は若年層の死因ナンバーワンが自殺となっています。日本の自殺率はG7でワースト記録を達成しています。外国は、キリスト教信者も多いので、簡単には自殺しません。キリスト教には、自殺を否定する教義があります。
    世界中の宗教が、自殺をタブーとしています。一昔前の日本では、人間の生死に関する価値観は宗教教育を通じて幼少期から自然と学ぶ生活が普通でした。身近に神仏を感じる人は、自殺をしません。孤独に陥り、絶望したときに人は自殺をします。
    このような、とくに、若年層の自殺者が増加している現代において、宗教と「接点」をもつなとか、宗教全般において、宗教心をマインド・コントロールの結果だなどと科学的根拠もないのに断ずることは、非常に大きな危険性をはらみます。神仏を身近に感じて生きる人生は、孤独ではありませんから、自殺はしません。孤独な人も、どこでもいいから宗教にいけば、仲間ができ、生きがいができます。宗教というのは、弱者であっても、温かく受け入れてくれますので、再び、孤独に陥ることはありません。
    日本の宗教教育が廃れてしまっている、伝統宗教が子供に教えられていないという現代日本において、ますます、宗教全般を遠ざけるべきだといわんばかりの、マスコミの論調は、日本の将来的な利益を損ねるだけであるといえるのではないでしょうか?
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